「人」「物」「金」の革新が個人店と企業をわけた

最初の一歩は
業界常識の否定だった

 毎年、多くの企業が創業するが、90%の企業は10年以内に消えていく。いまから20年以上前のドラッグストア(DgS)の勃興期には、全国各地に多くのチェーンドラッグ企業が存在していたが、多くの企業が倒産し、M&Aで買収され、プレイヤーの数は減り、いまやほんの一握りの企業しか生き残っていない。
 DgSの勃興期から20年後に生き残った企業と、消えていった企業の差はいったいなんだったのだろうか? 
 20年以上前、多くのDgS経営者は、他の業界の経営者よりも若く、個性の強い薬局・薬店の創業オーナーばかりだった。彼らが小規模な個人商店から脱却し、繁盛店をつくり、多店舗展開に成功した理由は、従来の薬局・薬店の経営を否定し、「経営の革新」を行ったからだ。
 経営とは「人」「物」「金」である。個人商店が最初に行った革新は、「物」(業態と商品)の革新だった。最初に成功したDgS経営者は、医薬品メーカーの「川下」である「クスリ屋」の商売を否定し、HBC(ヘルス&ビューティケア)という生活とライフスタイルを主語に医薬品以外の新規商品を積極的に追加(ラインロビング)した。医薬品メーカーの下請けではなくて、取扱商品を増やし、小売業として自立しようという高い志もあった。
 取扱商品を増やすために、10坪の薬局から、50坪、100坪、150坪と売場面積を拡大した。地方都市の立地では、駅前や商店街立地から、駐車場を広く確保したロードサイド立地にリロケーションした。
 当時はDgSの企業年商は小さかったので、医薬品以外の商品をラインロビングしようにも、取引先の信用度は低く、仕入れ原価もGMSやSMよりも高かった。そこで初期のDgSはトイレットペーパーやティッシュ、洗濯洗剤などの消耗品を「原価=売価」の儲けゼロで販売して集客した。当時は医薬品の粗利益率が40%近くあったこともあり、消耗雑貨を赤字で販売しても、かろうじて店全体で粗利益率を確保できた。また、一部の売れ筋の医薬品も安売りした。
 過激な安売りは、地域の薬剤師会などの既存の医薬品業界からは蛇蝎(だっか)のごとく嫌われたが、消費者の支持を得て、爆発的に売れて、その資金を元手に多店舗展開を開始した。
 DgSが急成長した最初の一歩は、薬局・薬店の業界常識を否定し、「しがらみ」をなくして新規の仕入先を開拓し、ゼロから業態化を進めたことである。

資本戦略の一歩は
会社の財布(自己資本)の増強

 経営は「人」「物」「金」である。「物」(業態と商品)の革新で成功したDgSの中で、その後、成長が鈍化した企業に共通するひとつの要因は、…
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