かつての大規模小売業の 失敗の本質に学ぶ

強烈な成功体験が
変化対応を遅らせる

 20代前半から30年以上も流通専門のジャーナリストとして仕事をしてきた。その四半世紀を超える期間の間に、小売企業の栄枯盛衰を何度も目撃してきた。私が20代の頃に、日本一の売上高を誇ったダイエーが経営破たんすると考えていた人は、私も含めて当時は一人もいなかったと思う。
 成長を継続する企業は、現在の企業規模の大きな企業ではなくて、変化に対応できた企業である。ダーウィンの進化論にも似た栄枯盛衰の真理の正しさは、ダイエーの経営破たんが証明している。変化とは、(1)環境の変化と、(2)消費者の変化である。
 ダイエーは、もともと安売りによって1店舗で巨大な売上を稼ぎ、戦後の小売業界をリードしてきた。創業者の故・中内㓛氏の自伝を読むと、店を開店すると消費者が店内に殺到し、レジを打つ音が閉店まで鳴りやまなかったそうだ。中内氏は、強烈な成功体験を胸に刻んだのである。また、「価格破壊によって大衆の暮らしを豊かにする」という理念は消費者に支持され、日本最大の小売業に成長していった。
 私が20代の頃は1店舗100億円も売るGMSが何店舗もあり、ダイエー津田沼店の最盛期の売上はたしか200億円を超えていたと記憶している。その当時、中内㓛氏が繰り返した名言は、「売上はすべてを癒す」という言葉である。ダイエーは創業期の強烈な成功体験を忘れられず、最後まで売上至上主義で走り抜けた。
 しかし、高度経済成長期は終わり、少しずつ競争環境が変化していった。コンビニ、ホームセンター(HC)、ユニクロなどの専門店、そしてドラッグストア(DgS)などのGMSよりも小商圏の業態の出店が続き、GMSは薄皮をはがされるように売上を奪われていった。
 業績に陰りが見え始めたダイエーは、1990年代に「ハイパーマート」という新業態を開発し、起死回生を狙った。そのプロジェクトを主導したのは後継者の中内潤氏だった。ハイパーマートは当時のアメリカで話題になっていた新業態で、低粗利益率&低経費率のディスカウント業態だった。
 ダイエーのハイパーマートの粗利益率の目標は18%台、売上高対の経費率は16%台だったと記憶している。建物投資コスト、店内作業コストを徹底的に削減し、ローコストオペレーションを徹底し、低い経費率による安さを実現しようとした。
 しかし結果は大失敗に終わった。理由は、過激な安売りをしても、戦後の店不足時代と違って、広域から集客することができず、1店舗で巨大な売上を実現することができなかったからだ。初年度の売上目標を100億円に設定していたが、半分程度の売上しか達成できなかった。その結果、売上高対の経費率は、100億円売れば16%台だったが、半分の売上では経費率は優に20%台を超えてしまった。ローコスト業態を目指したが、蓋をあけるとハイコスト業態だったという、笑い話のような結果に終わった。
 結局、ダイエーは1店舗巨大売上の「夢よもう一度」という呪縛から、最後まで逃れることができなかったのである。

投資回収期間100年後の
無謀プロジェクトが跋扈

 売上至上主義の成功体験は、無謀な投資という失敗の原因をつくった。
 月刊MDが創刊した1997年は、実は…

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