平成初期の大型投資は
すべて失敗に終わった
今月号は「令和」元年の第1号になる。令和時代の小売・流通業は、どんな変化を遂げるのだろうか。小売・流通業は、「変化対応業」である。変化の第一は「消費者」の購買行動の変化である。変化の第二は、競合状況や法律改正などの「競争環境」の変化である。
平成の30年間を振り返っても、「消費者」と「競争環境」という2つの変化に対応できず、衰退していった業態や企業はたくさんある。
歴史は繰り返す。令和時代も、変化に対応できず衰退していく業態や企業が出るだろうし、逆に、新しい変化の追い風に乗って急成長する業態や企業が台頭するだろう。
今月号は、平成の30年間にどんな変化が起こったのかを整理してみる。
平成は「バブル経済」の絶頂期からスタートした。平成元年(1989年)の4月30日に誕生した「マイカル本牧(現・イオン本牧)」は、まさにバブル時代を象徴する大型ショッピングセンターだった。総投資額400億円、初年度年商目標320億円。投資回収期間100年といわれた無謀な投資だった。
関西のスーパーマーケットだったニチイは、マイカル本牧開店の前年に「マイカル宣言」を行い、社名・店名もニチイからマイカルに変更し、「質販店」なる疑似デパートへの投資に大きく舵を切った。
マイカルのような戦後成長した小売業の経営は、「土地本位制」が基本であった。土地は上昇し続けるものという「土地神話」によて、ダイエーやマイカルなどの大手小売業は土地を購入し、それを担保に借入を行い、巨大な投資を行った。バブル崩壊までは土地は上昇し続けていたので、土地の値上がりによる「含み資産」を活用して、拡大再生産を行う土地本位制の経営だった。
マイカル本牧が開店する5年前の昭和59年(1984年)にはダイエーが「プランタン銀座」(現在は閉店)を開店した。これもまた土地本位制に基づいた投資回収期間100年という無謀なプロジェクトであった。
また、長崎屋(現・ドン・キホーテ)は、北海道の苫小牧に全天候型の遊園地併設のスーパーセンター(Su.C)を開店した。開店披露の記者会見で、Su.Cの中をジェットコースターが走っているのを目撃して、「大根を買ったついでにジェットコースターに乗る客がいるのだろうか」と呆然としたことを、今でも鮮明に覚えている。
その後、バブルの終焉に合わせるように、ダイエー、マイカル、長崎屋は経営破綻した。まさに平成は、バブル崩壊から始まったわけである。
ROA主義のDgSは
平成に急成長した
バブル崩壊によって、小売業の経営は、「売上至上主義」から「ROA(総資産回転率×経常利益率)主義」に大きく転換していった。ダイエーの創業者である中内㓛氏の有名な言葉「売上がすべてを癒す」という売上至上主義経営は、平成の始まりとともに終焉していった。
平成の始まりの頃に…(続きは本誌をご覧ください)