古巣である「商業界」の 経営破綻に思うこと

会社はなかなか潰れない
だから革新が遅れる

 私事で恐縮だが、23年前(1997年)に月刊MDを創刊する前に勤めていた株式会社商業界が4月2日に経営破綻した。私は、独立する直前まで商業界の月刊『販売革新』の編集記者だった。
 販売革新という雑誌は、日本のチェーンストア産業の「理論」を支えてきた流通業界の歴史に残る稀有な雑誌である。
 その雑誌で働いたことで、小売業の理論の多くを学ぶことができたことを今でも感謝している。
 亡くなられたペガサスクラブの渥美俊一先生などの流通業界の一流コンサルタントの皆さんとの出会いも、その後の記者としての理論構築に大いに役立った。
 販売革新に在籍していたことは誇りであったので、その会社が倒産したことは正直ショックである。
 私が商業界を辞めた理由の第1は、編集方針の違いである。当時の最大手だったダイエーを礼賛する記事ばかり書いていた。
 ダイエーの創業者の長男が鳴り物入りで開店した「ハイパーマート」という新業態を取材に行くと、「便器がなくて下を水が流れている昔の小学校のようなトイレ」だった。トイレを簡素にしてまでローコスト経営にこだわったのかと当初は感激した。
 しかし、一級建築士に質問すると、特注だからTOTOの普通のトイレの方が安いと言われた。
 つまり、わざわざコストをかけてローコストを演出していたわけだ。上司に褒めてもらうためだけに。
 こんな新業態を礼賛したら「販売革新の名がすたる」と会議で反対したが、まったく意見は通らなかった。
 また、当時勃興期のドラッグストア(DgS)向けの雑誌を創刊すべきだと、役員に進言したが、これも完全にスルーされた。だったら自分でつくってやると、若気の至りで月刊MDを個人で創刊してしまったわけだ。
 辞めた理由の第2は、「年齢給一本」という異常な給与体系だったことだ。赤旗系の労働組合が強く、能力・職務に関係なく「年齢を聞けば給料がわかる」という会社だった。
 当時、経営者を除くと、一番給料の高かった社員は、地下のボイラー室で働く50代後半のボイラーマンだった(本当の話です)。
 私はほとんど参加しなかったが、賃上げの時期には過激なストライキも実施していた。
 「こんな会社いつかは潰れるさ」と思って独立したが、倒産したのは独立から23年後である。
 強固なブランドをつくった会社はなかなか潰れないものだ。だから、現状維持に甘んじて、革新が遅れて、気が付いたら手遅れになってしまうのだ。

独立して初めて経営の
全体像が理解できた

 37歳で独立して最初に痛感したことは、…続きは本誌をご覧ください