フード&ドラッグは
かつて失敗した業態
今月号では、「フード&ドラッグ+調剤」の新業態開発に果敢にチャレンジしている大屋グループ(店名はドラッグストアmac)の伊藤慎太郎社長のインタビューを掲載したが、最近、各地で同業態を開店する事例が増えている。クスリのアオキはスーパーマーケット(以下SM)を意欲的に買収し、フード&ドラッグ+調剤の新規出店を加速している。
また、ツルハも3月に600坪の同社最大規模のフード&ドラッグ+調剤+クリニック(予定)であるツルハドラッグ新田東店(仙台市)を開店した。おそらく次の10年のドラッグストア(DgS)の主力業態のひとつが、フード&ドラッグ+調剤であると思う。
しかし、日本の業態開発の歴史を振り返ると、フード&ドラッグという業態への挑戦は、一度失敗している。1980年代の後半から1990年代の前半にかけて、近隣型のショッピングセンター(NSC)にSMと軒を並べて出店していたアメリカのDgSは、ドラッグ商品と調剤をラインロビングした大型SMに売上を奪われて業績を悪化させていった。
このSMの新業態は「フード&ドラッグ」(食品+非食品+DgS+調剤)と呼ばれて、その後のアメリカのSMのスタンダートになった。
アメリカの業態変化の歴史を定点観測していた日本の小売業の経営者の何人かが、フード&ドラッグの業態開発に挑戦した。
代表的な企業である神奈川県の「ハックイシダ」(現ウエルシアHD)は、薬局・薬店のVC(ボランタリーチェーン)であるAJD(オールジャパンドラッグ)の加盟店として親交のあった静岡県の食品スーパー「キミサワ」と対等合併し、「ハックキミサワ」という新会社を設立した。合併の目的は、日本型フード&ドラッグという新業態を開発するための戦略的な合併だった。
その後、1996年(平成8年)に日本初のフード&ドラッグ「ザ・コンボjr厚木妻田(650坪)」、2号店の「ザ・コンボ富士厚原店(900坪)」を立て続けに開店し、当時の流通業界では大きな話題になった。また、同時期にジャスコ(現イオン)も、東北に「フード&ドラッグ」の1号店を開店して、全国出店を目指したことを覚えている。
ところが、それらの日本型フード&ドラッグづくりは、成功することはなかった。残念ながら日本では業態としては成立せず、夢半ばで新業態開発は頓挫している。
90年代のフード&ドラッグ
が失敗した3つの理由
日本型コンビネーションストアづくりが失敗した理由の第1は、高コスト構造のSMの中に、ローコスト構造だからこそ成立するDgSを入居させたことである。
日本のSMは、……続きは本誌をご覧ください