日本人はスポーツやビジネスに関しても、「道を極める」という気質がある。これは日本人が世界に誇る美徳であると思う。流通業界に属する我々が極める道は「商人道」である。
私の机の前の棚には『店はお客様のためにある』(倉本長治 商訓50抄)という本が並べられている(写真参照)。
私が以前在籍していた「商業界」という出版社の創始者である倉本長治先生が、商人道の本質を極めるための50のコラムをまとめたものである。
今月号の特集は「顧客満足度」調査である。真の顧客満足対策は、商人道の原点に戻ることであると考えて、倉本先生の50のコラムの中から6つのエピソードを再掲載する。
商売は損得より善悪の方が大切である。それは儲かるか、儲からないかと言うことよりも、そのことが善いことか、悪いことかをまず考えることが根本だと言うことなのである。これまでの商人諸君は、自分が消費生活者の隣人として、その専門の知識と愛情とでお客さまの生活を守ることが務めであるという目覚が少なく、自分自身の損得にばかり熱中してきた。商人も人間である以上は、自分の損得の問題よりも、多くの人々のためになる「善」とか、その反対の「悪」とかの問題を優先的に考えるのが正しいのである。
どんなに自分が儲かっても、それが悪いことなら、その儲けから遠ざかるような商人こそ正しいのである。だから商人は事を計画したり、実施する時「これは儲かるぞ」と思う前に、「人々のためにそれは善いことか悪いことか」をまずよく判断すべきである。
自分だけ儲かることが悪いこととは言えないが、同時に少しでも他人に損をさせてはいけないし、みんなが利益になるようなら、なおよいことだと知るべきである。
「損得より先きに善悪を考えよう」そういう商売を、すべての商人にお勧めするのである。
(商人讃歌ほかより)
◆日野解説
損得より善悪が先という商人道の中でもっとも重要な言葉は、今の時代だからこそ肝に銘じるべきだ。儲かる粗悪品を売っていないか、推奨品は本当にお客の役に立っているのか。
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「店は客のためにある」と言うのは、商業の基本精神であり、小売業の根本的な使命を示したものである。小売業の使命とは何か。それは地域の人々の暮らしを守り、暮らしを育て、社会文化の発展に役立つことであり、これがビジネスとして機能してはじめて使命を果たしていると言えるのだ。しかし「店は自分のためにある」と言っても同じことではないかという人もあるかもしれない。だがこれは、根本から違っている。「店は客のためにある」というのは、お客の側から商売を考えるという哲学の発想である。店を自己の利益追求の手段としてしか考えない発想では、お客も儲けの手段にしか過ぎない。
かつて封建社会では、取引(商売)とは「だますこと」と隣り合わせであった。ドイツ語のTauschen(公益商)は、Tauschen(だます)と語源を同じくしていることでも判る。
日本でも、消費者主権などという言葉は知らなくとも、近江商人も伊勢商人も、大阪でも江戸でも、成功者はすぺて信用を第一とし、大衆社会のために商売をしてきた人たちだった。「商いは高利を取らず、正直に、良きものを売れ、末は繁昌」という大村彦太郎という江戸商人の商訓だが、今日にも生きている。 (解説/川崎進一)
◆日野解説
店は客のためにある、という当たり前の言葉も繰り返し自問自答すべき言葉であろう。もう一度、自分の店の売り方が顧客第一主義なのかをチェックしてみよう。
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