[特別版]売上も店数も飛躍的に伸びた ドラッグストアの10年史

次の10年もまた「ゲームチェンジ」が起こる!

今月号は、毎年10月号で掲載している『ドラッグストア白書』の過去記事を編集して、ドラッグストアという業態が過去10年間でどれほど成長したのか、また企業の勢力図がどう変遷したのかを時系列のデータで追ってみよう。

平成バブル時代に
勃興期を迎えたDgS

 日本のドラッグストア(DgS)の市場規模は約7兆2,744億円(日本チェーンドラッグストア協会調べ)。株式を上場している14社のDgSの総売上高は5兆円を超えており、上位寡占化が加速している。
 DgSの店舗数は2万店を超えており、コンビニの5万5,620店(2019年12月末)に次いで店舗数の多い業態である。コンビニが4店あればDgSが必ず1店舗はあるくらいの「小商圏」で、全国津々浦々に店舗展開している。コンビニよりは商圏は広いが、スーパーマーケットよりは商圏は狭い。
 現在のようなDgSが、日本人に認知され始めたのは、平成時代の前半から中盤にかけてである。「都市型DgS」マツモトキヨシの渋谷パルコ店(90坪)が開店したのは、平成7年(1995年)のことである。都市型DgSのマツモトキヨシは、若者文化の発信地として社会現象になるほどマスコミに取り上げられた。当時は、コギャル(女子高校生)に大人気のDgSとして一世を風靡した。マツモトキヨシが「ドラッグストア」という名称を日本に普及・定着させたといっていいだろう。
 また、「食品強化型スーパーDgS」のパイオニアであるカワチ薬品が当時としては常識外れの大型店「福島白河店(700坪)」を開店したのも平成7年(1995年)だった。
 一方、現在の売上ランキングのトップ3であるツルハHD、ウエルシアHD、コスモス薬品などの「郊外型DgS」も同じ時期に大量出店を開始している。現在(2020年5月)は売上高3位の「コスモス薬品」が1号店を開店したのは平成5年(1993年)のことである。
 その後、平成9年(1997年)には「山一證券」が経営破綻した(ちなみにこの年に月刊MDは創刊)。世にいう「平成バブル崩壊」が進行していた時代にDgSは急成長期が始まったのである。DgSの業界団体である「日本チェーンドラッグストア協会(略称JACDS)」が設立されたのは平成11年(1999年)のことである。
 平成バブルが崩壊した平成前期~中期には、第二次世界大戦後の高度経済成長とともに大成長を遂げた「総合スーパー」のダイエーやマイカル、西友などがそれぞれ経営破綻した時代でもある。まさに昭和の小売業の王様だった総合スーパーが急速に衰退していった時代が平成前期~中期だった。そして、まるで小売業の主役が交代するかのように、DgSの勃興期が始まったのである。
 「変化」とは毎年なだらかに起こるものではない。ある時期にまるで階段を駆け上がるように一気に変化するものである。DgSは平成バブルの崩壊という過去の価値観が激変する時代に、まるで階段を一気に駆け上がるように「ゲームチェンジ」を果たしたといえよう。

軽い投資で高速出店
ROA重視の経営

 山一證券が経営破綻した平成9年(1997年)は、、日本の小売業の総売上高が約148兆円とピークを迎えた歴史的な年である(商業統計から引用)。つまり、日本の小売業の高度経済成長が終わり、右肩下がり時代が始まった分岐点の年でもある。
 その20年後、…続きは本誌をご覧ください